2013年9月2日

ハーバード大学の図書館の壁に書かれている言葉


1. 今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う。

2. あなたが無駄にした今日は、どれだけの人が願っても叶わなかった未来である。

3. 物事に取りかかるべき一番早い時は、あなたが「遅かった」と感じた瞬間である。

4. 今日やるほうが、明日やるよりも何倍も良い。

5. 勉強の苦しみは一瞬のものだが、勉強しなかった苦しみは一生続く。

6. 勉強するのに足りないのは時間ではない。努力だ。

7. 幸福には順位はないが、成功には順位がある。 

8. 学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。

9. 苦しみが避けられないのであれば、むしろそれを楽しめ。

10. 人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。

11. 怠惰な人が成功する事は決してない。
  真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力を備えた者である。

12. 時間は、一瞬で過ぎていく。

13. 今の涎は将来の涙となる。

14. 犬の様に学び、紳士の様に遊べ。 

15. 今日歩くのを止めれば、明日からは走るしかない。

16. 一番現実的な人は、自分の未来に投資する。

17. 教育の優劣が収入の優劣。

18. 過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。

19. 今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。

20. 苦しんでこそはじめて進める。

2012年9月5日

宝塚歌劇団「ブスの25カ条」


宝塚歌劇団の舞台裏に「戒め」として貼り出されていたと伝えられる

【ブスの25カ条】
1 笑顔がない
2 お礼を言わない
3 美味しいと言わない
4 精気がない
5 自信がない
6 愚痴をこぼす
7 希望や信念がない
8 いつも周囲が悪いと思っている
9 自分がブスであることを知らない
10 声が小さくイジケている
11 なんでもないことに傷つく
12 他人に嫉妬する
13 目が輝いていない
14 いつも口がへの字の形がしている
15 責任転嫁がうまい
16 他人をうらやむ
17 悲観的に物事を考える
18 問題意識を持っていない
19 他人につくさない
20 他人を信じない
21 人生においても仕事においても意欲がない
22 謙虚さがなく傲慢である
23 他人のアドバイスや忠告を受け入れない
24 自分が最も正しいと信じ込んでいる
25 存在自体が周囲を暗くする


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【美人の25カ条】
1 いつも笑顔が絶えない
2 ありがとうの言葉をよく口にする
3 なんでもおいしくいただける
4 キラキラしたオーラに包まれている
5 根拠のないプライドは持ち合わせていない
6 愚痴をこぼさない
7 希望や信念がある
8 いつも周りの人に感謝をしている
9 自分を大切にしている
10 声にハリがあり、元気がいい
11 小さな事でクヨクヨしない
12 他人に嫉妬される存在
13 瞳が輝いている
14 常に口角が上がっている
15 責任感が強く、他人のせいにしない
16 自分の軸をしっかり持ち、ブレない
17 いつもポジティブシンキング
18 前に進むための努力を怠らない
19 人のためにする労力をいとわない
20 信頼できる人間が大勢いる
21 人生においても仕事においても意欲的である
22 常に謙虚な気持ちで、他人を見下さない
23 周りのアドバイスや忠告に耳を貸す
24 人の振り見て我がふりを直せる
25 存在自体が周りを明るくパワフルにする


2012年7月30日

欧米人の名前対策



欧米人の名前

国による発音の違い&一般的な愛称(英語人名の短縮)


【女性】
英:メアリー(Mary)、伊/葡/独:マリア(Maria)、仏:マリー(Marie)
→モリー(Molly)、モル(Moll)、ポリー(Polly) など

英:マーガレット(Margaret)、西/露:マルガリータ(Margarita)、独:マルグリット(Margrit)
→マギー(Maggie)、メグ(Meg)、ペギー(Peggy)、ペグ(Peg) など

英:キャサリン(Catherine)、仏:カトリーヌ(Catherine)、伊/葡:カタリーナ(Catarina)、露:エカテリーナ(Ekaterina)
→ケイト(Cate)、キャシー(Cassy/Cassie)、キャス(Cath)


【男性】
英:アンソニー(Anthony)、伊:アントニオ(Antonio)、独:アントン(Anton)
→トニー(Tony)

英:ピーター(Peter)、独:ペーター(Peter)、伊:ピエトロ(Pietro)、仏:ピエール(Piere)
→ピート(Pete)

英:ジョージ(George)、仏/伊:ジョルジュ(George)、独:ゲオルグ(Georg)、西:ホルヘ(Jorge)、女性形はジョージア(Georgia)
→ジョージ(George)

英:ヘンリー(Henry)、仏:アンリ(Henri)
→ハリー(Harry)、ハンク(Hank)

英:リチャード(Richard)、仏:リシャール(Richard)、独:リヒャルト(Richard)、伊:リカルド(Ricardo)
→ディック(Dick)、リッキー(Ricky/Rickie)、リック(Rick)

英:アンドルー(Andrew)、仏:アンドレ(André)
→アンディー(Andy)、ドリュー(Drew)


面倒くさいから、YOU でいい


2012年7月2日

インディアンの言葉

インディアン(ネイティブ・アメリカン)

「臆病者は目を閉じて矢を射る。」
byオクラホマ族

「覚えても、学んだとは限らない。」
by不詳

「不思議に思うことが多くなると、知の贈り物が授けられる。」
by不詳

「知識ではなく、智恵を求めよ。知識は産物だが、智恵は未来をもたらす。」
byラムビー族

「危機は人を変えます。普通の人をより賢くしたり、より責任感の強い者に変えます。」
by不詳

「与えれば与えるほど、良き事があなたには訪れる。」
by不詳

「祖先の人々に生命を与えたのは風。指先をかざして私たちは風の来た道を知る。」
byナバホ族

「祈りとは自然との会話のこと。」
by不詳

「笑顔が神聖なものであり、みんなと分け合うべきものであることを、
いかなるときも忘れてはならない。」
byチェロキー族

2011年8月22日

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式のスピーチ



2005年6月12日 米国スタンフォード大学の卒業式で、
アップルコンピューターとピクサーアニメーションスタジオの CEO スティーブ・ジョブズ氏が行なったスピーチです。
非常に有名なスピーチのひとつです。

以前、紹介した孫正義氏のスピーチにも大きな影響を与えたと思います。
スティーブ・ジョブズと同じ歳でライバルでもあるビル・ゲイツ氏(Microsoft)には有名なスピーチはありませんが、彼がアスペルガー症候群であることも広く知られています。
彼らに共通しているのは、強烈な「光」と、ほとんど語られることのない「影」

ある人は彼らを「運が良かっただけ」と言います。
ある人は彼らが「闇の勢力と結びついている」ともいいます。

確かに彼らは運が良かったかも知れません。
しかし、なぜ彼らが運を手にできたのか、彼らを動かしたものが非常に重要だったと思います。

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I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college. And this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
本日は、世界有数の大学の1つを卒業される皆さんとここに同席することができ、たいへん光栄に思います。
実のところ、私は大学を出ていません。
ですから私にとって、これが今までで大学卒業に最も近い経験になります(笑)。

今日、私がお話したいのは、私が自分の人生から学んだ3つの話です。
それだけです。たいしたものではありません。たった3つです。

The first story is about connecting the dots.
最初は、「点と点をつなぐ」という話です。

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
私はリード大学を半年でドロップアウトしましたが、実際に退学するまでの間18ヶ月間ほどは大学に居残っていました。
なぜドロップアウトしてしまったのでしょうか?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We’ve got an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start of my life.
話は私が生まれる前に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の大学院生だったため、私を養子に出すことにしました。
彼女は、私が大卒者の家庭で育てられるべきだと強く考え、弁護士の夫婦と養子縁組の手配を整えていました。
しかし、実際に私が生まれた最後の土壇場で、彼らは女の子が欲しいということになってしまったのです。
そこで夜遅くに、養子縁組待ちのリストにあった両親のところに電話が行きました。
「予定外の男の赤ちゃんが生まれました。養子縁組を希望しますか?」
両親は答えました。「もちろん」と。
その後、母が大卒ではなく、父は高卒ですらないということを知って、生みの母親は養子縁組の最終書類への署名を拒否しました。彼女が折れたのは数ヶ月後です。
両親が、私を大学に行かせると約束したからでした。
これが、私の人生の始まりです。

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.
17年後、私は確かに大学に入学しました。
しかし私は、さしたる考えもなしに、スタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。
労働者階級だった両親の貯蓄はすべて大学の学費に消えていってしまいます。
6ヶ月後、私はそこに価値を見出せなくなっていました。
私は、自分が人生において何をしたいのか、それを見つけるために大学が何の役に立つのか、まったく分かりませんでした。にもかかわらず自分がここにいることで、両親は生涯かけて貯めた金を残らず使い果たそうとしています。
だから私は退学すると決めました。これですべてうまくいくと信じていました。もちろん、そのときはたいへん恐ろしい思いをしました。
しかしふり返ってみると、あれは私の人生で最良の決断の1つだったといえます(笑)。
ドロップアウトしたそのときから、私は興味を持てない必修科目はやめて、それよりはるかに面白そうな科目に出ることができたからです。

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
もちろん、すべてがいい話というわけではありません。
寮の部屋もありませんでしたから、夜は友人の部屋の床で寝て、コークの瓶を店に返すともらえる5セントを集めて食べ物を買ったりしました。
毎週日曜の夜は、7マイル歩いて街を抜け、ハーレ・クリシュナ寺院に行っておいしいご飯にありつきました。あれは大好きでしたね。
そんなふうに、自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、後からみればこの上なく価値のあるものだったのです。
例をひとつ挙げてみましょう。

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
リード大学は、カリグラフィ教育において、おそらく当時国内最高水準でした。
キャンパス中どこでも、ポスターやら戸棚のひとつひとつに貼るラベルなど、すべてが美しい手書きのカリグラフィで飾られていました。
私はもうドロップアウトしていて普通の授業には出なくていいわけですから、カリグラフィのクラスに出て、そのやり方を学んでみようと思ったのです。
セリフとサンセリフの書体、さまざまな字の組み合わせに応じて文字間隔を調整する手法や、美しい字体は何が美しいのかなどを学びました。
それは美しく、歴史があり、科学ではとらえられない繊細な芸術性をもった世界です。私は夢中になりました。

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
もちろんそのとき、これらが人生の上で実際に役に立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。
しかし10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計していたとき、その時のことがよみがえってきたのです。
そこで私たちは、それらをすべてマックに組み込みました。美しいフォントを持った初めてのコンピュータです。もし私が、大学であの授業にもぐりこんでいなかったとしたら、マックには複数フォントも字間調整フォントも入っていなかったでしょう。
Windows は単にマックをコピーしたものなので(笑)、パソコンがそれらを持つことはなかっただろうと思います(拍手)。
もし私がドロップアウトしていなかったら、あのカリグラフィのクラスにもぐりこむこともなく、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったでしょう。
もちろん、大学にいた当時、そんな先々のことまで考えて点と点をつなげてみるようなことはできませんでした。
しかし10年後からふり返ってみると、非常にはっきりと見えるわけです。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.
繰り返しますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。
後からふり返って初めてできるわけです。
したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。
自分の勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいから、信じなくてはなりません。
点がやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれます。
これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。

My second story is about love and loss.
2つめは、「愛」と「敗北」についての話です。

I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents’ garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating. 
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができたからです。
実家のガレージでウォズとアップル社を始めたのは、私が20歳の時でした。私たちは一生懸命働きました。
そして10年後、アップル社は、たった2人のガレージ企業からスタートして、従業員4千人以上を抱える20億ドル企業になっていました。
しかし、私たちの最高の作品、マッキントッシュを発表して1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に、私は会社をクビになってしまいました。
なぜ自分が始めた会社をクビになるのでしょうか?(笑)
アップルが大きくなっていったため、私たちは、非常に有能と考えた人物を、私の右腕として会社を経営してもらうために雇いました。
最初の1年前後はうまく行きました。しかしやがて、互いの将来ビジョンは離れていき、最後は決定的な亀裂を生じてしまいました。
そのとき取締役会が支持したのは彼のほうだったのです。
こうして私は、30歳にして会社を追い出されました。それはもう公然と追い出されたわけです。
自分が大人になって以来全てをかけて打ち込んできたものが消えたのですから、私はもうぼろぼろでした。

I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
数ヶ月の間、私はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。
自分は前の世代の起業家たちの名誉を汚してしまった、渡されたバトンを落としてしまったのだ、と感じました。
デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、全てを台無しにしてしまったことを詫びたりもしました。知らぬ者のない失敗者です。
シリコンバレーから逃げ出すことすら考えました。
しかし、やがて私の中で何かが見え始めました。私はまだ自分の仕事を愛していました。
アップルでのできごとがあっても、その気持ちはいささかも変わらなかったのです。
私はふられてしまったわけですが、まだ好きでした。
だからもう一度やり直してみようと決めました。

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life. 
その時は分かりませんでしたが、後からみると、アップルを追い出されたことは、人生で最良のできごとでした。
成功者であることの重みが、もう一度初心者であることの身軽さに代わったのです。
ものごとに対して前ほど自信も持てなくなりましたが、同時に私は自由の身となり、人生で最もクリエイティブな時期にもう一度入ることができました。

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world's first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together. 
その後5年の間に、私はNeXTという会社を立ち上げ、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、その女性と結婚しました。
ピクサーはやがて世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。
思いがけないことからアップルがNeXTを買収し、私はアップルに復帰しました。
NeXTが開発した技術は、最近のアップルの復活において中核的役割を果たしています。
ローレンと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful-tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking, and don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle. 
私は断言できます。
もし私がアップルを追い出されていなかったら、これらのことはひとつとして起こらなかっただろうと。
もちろんそれは苦い薬でした。しかし患者には、それが必要だったのでしょう。
時として人生には、レンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。
しかし信念を投げ出してはいけません。
私が続けられた理由はただ1つ、自分のやっている仕事が好きだったということです。
そしてこれは皆さんの仕事や恋愛においても同じです。
皆さんも、仕事が人生の大きな部分を占めていくでしょうが、真に満足するために必要なのはただ1つ、皆さんが素晴しいと信じる仕事に取り組むことです。
そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら、皆さんがやっている仕事を愛さなければなりません。
もしまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。
ひとつの場所に固まっていてはいけません。
心というのはよくしたもので、見つければそれとわかるものです。
そして素晴らしい恋愛と同様に、年を重ねるごとによくなっていきます。
ですから、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません(拍手)。

My third story is about death. 
3つめは、死に関するお話です。

When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something. 
私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。
「毎日、これが人生最後の日と思って生きなさい。やがて必ず、その通りになる日がくるから」(笑)。
それは私にとって印象的でした。
そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分に問い掛けてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」と。
その答えが「ノー」である日が続くと、そろそろ何かを変える必要があるとわかります。

Remembering that all will be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart. 
自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。
ほとんどのものごと、外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったもののすべては死に臨んでは消えてなくなり、真に重要なことだけが残るからです。
自分も死に向かっているという自覚は、私の知る限り、何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。
あなた方はすでに丸裸です。自分の心に従わない理由はありません。

About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try and tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes. 
今から1年ほど前、私はガンと診断されました。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にはっきりと腫瘍が映っていました。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかったのですが。
医師たちは、これはまずまちがいなく治療不能なタイプのガンだと言いました。
長くても3ヶ月から6ヶ月の命だろう、と。
主治医は私に、家に帰って身辺を整理しなさい、とアドバイスしました。
「死の準備をせよ」という場合の医師の言い方です。
要するに、今後10年かけて子どもたちに伝えたいことがあるなら、この数ヶ月のうちに言っておきなさい、ということです。
それはまた、家族が対処しやすいよう、何もかも準備しておけ、ということです。
別れを告げろ、ということですね。

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and thankfully, I'm fine now. 
私はその診断結果を抱えて丸1日過ごしました。
そしてその日の夕方遅く生検を受けました。
内視鏡を喉から入れ、それが胃を通って腸に達します。
そこからすい臓に針を刺して腫瘍の細胞が幾つか採取されました。
私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったのですが、立ち会った妻に後で聞いたら、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見たとき、叫び出したのだそうです。
それはきわめて珍しいタイプのすい臓ガンで、手術で直せるものでした。
私は手術を受け、そして今は、ありがたいことに元気です(拍手)。

This was the closest I've been to facing death, and I hope it’s the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept: 
これが私の人生の中で最も死に近づいた経験です。
この先何十年かはこれ以上近くならないよう願いたいですが。
この経験を経た今、私はあなた方に、死というものが有益ではあるが純粋に頭の中の概念でしかなかった以前と比べて、少しだけ確信をもっていうことができます。

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true. 
誰でも死にたくありません。
たとえ天国に行きたいと願う人でも、そこに行くために死にたいとは思いません(笑)。
しかし死は、私たちすべてが共有する行き先です。
かつてそこから逃れた者は1人としていません。
そしてそれは、そうあるべきことなのです。
死はおそらく、生物にとって最高の発明です。
それは生命にとって、古いものを取り除き、新しいもののための道を開いてくれる変革の担い手です。今、「新しいもの」とはあなた方です。
しかし、それほど遠からぬうちに、あなた方もしだいに「古いもの」となり、取り除かれる日が来ます。
ドラマチックな表現で申し訳ありませんが、これが真実です。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary. 
あなた方の時間は限られています。
他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれてはいけません。
それは他の人たちの思考の結果とともに生きることだからです。
他人の意見の雑音によって自分の内なる声が掻き消されてしまわないようにしてください。
そして最も重要なことですが、あなたの心や直感に従う勇気をもってください。
心や直感は、あなたが本当は何になりたいのかすでに知っています。
他のことは全て二の次です(拍手)。

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions. 
私が若い頃、「ホール・アース・カタログ」という驚くべき本がありました。
私の世代にとってはバイブルの1つです。
それはここからそう遠くないメンローパークに住むスチュアート・ブランドという人物が作り出したものです。
彼の詩的なタッチは、誌面に命を吹き込んでいました。
1960年代終わりごろですから、パソコンやデスクトップ印刷はまだありません。
全てはタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られました。
グーグルが生まれる35年も前の、ペーパーバック版グーグルとでも呼ぶべきものです。
理想主義的で、いかしたツールやすばらしい考えに満ちあふれていました。

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you. 
スチュアートと彼のチームは、この「ホール・アース・カタログ」の発行を何度か重ね、一通りのことをやり尽くしたところで最終号を出しました。1970年代半ばのことです。
私はちょうど今のあなた方と同じ年頃でした。
最終号の背表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。
あなたが冒険好きならヒッチハイクの途上で一度は出会いそうな光景です。
写真の下にはこんな言葉が書かれていました。
「ハングリーであれ、愚か者であれ」
それが彼らからのお別れのメッセージでした。
ハングリーであれ、愚か者であれ。私は常に、自分自身そうありたいと願い続けてきました。
そして今、卒業して新たな人生に踏み出すあなた方に対しても、同じことを願っています。

Stay Hungry. Stay Foolish. 
ハングリーであれ。愚か者であれ。

Thank you all very much. 
ありがとうございました。